Elysium と「自由」の第9のことなど

前回は schadenfreude という単語について書いたが、ここに含まれる freude から私が連想するのは、シラーの詩「歓喜に寄す」 Am die Freude を使ったベートーヴェンの交響曲第9番である。有名な旋律にのせて歌われる詩の一節には、この Freude とともに Elysium という単語が出てくる。

"Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium" (「歓びよ、神の美しい閃光、楽園から来た娘」)というもので、この Elysium とはパリのシャンゼリゼ通り Champs-Élysées にも含まれる言葉だと以前ちょっと書いたことがあるが、あらためて英英辞典を引いてみた。

- 1. Also called Elysian Fields. Classical Mythology. the abode of the blessed after death.
2. any similarly conceived abode or state of the dead.
3. any place or state of perfect happiness; paradise.
Everything was perfect. She was in Elysium.

- In Greek mythology, Elysium was a section of the Underworld (the spelling Elysium is a Latinization of the Greek word Elysion). The Elysian Fields, Elysian Plains or Fields of Asphodel, were the final resting place of the souls of the heroic and the virtuous.

比喩的な意味では「極楽浄土」などという訳語が英和辞典にあるが、神話についていえば、あくまで「英雄や有徳者の魂が死後憩える場所」ということで、誰でも行くことができるわけではないらしい。

ところで、シラーは本当は Freiheit (自由)を使いたかったが、当時の政治情勢では不可能だったので Freude にしたという説があるそうだ。

「ベルリンの壁」が崩壊した1989年のクリスマス、レナード・バーンスタイン Leonard Bernstein はベルリンで東西の混成オーケストラを指揮して「第9」を演奏したが、この説に沿って歌詞を Freiheit と変えた。私は当時、この演奏をテレビの録画で見たが、数年前にDVD化されて再び映像を見ることができるようになった。

死の前年のバーンスタインはすでに体調を崩していたのか、今見ると時おり苦しそうな表情も浮かべているが、私にとっては、定評あるフルトヴェングラーの1951年ライブにも匹敵する名演奏だと思う。あれからまもなく20年、時の経過のはやさに驚くとともに、冷戦再来かといわれるようになった時代の変遷にむなしさを感じたりもする。

ちなみに Freiheit 説についてバーンスタインは、信憑性について疑問があることを認めた上で、こう書いている。

- But legend or not, I feel this is a heaven-sent moment to sing "Freiheit" wherever the score indicates the word "Freude." If ever there was a historic time to take an academic risk in the name of human joy, this is it, and I am sure we have Beethoven's blessing.
(輸入盤CDの解説書より)

ヒューマニストとして知られた彼にふさわしい、あるいは彼だからこそ許される改変だったといえるかもしれない。

ついでだが、ここに出てくる blessing という単語には、「祝福」のほか「賛同」「承認」という意味がある。翻訳「2001年宇宙の旅―決定版」の序文に、「(映画の小説版の)出版にこぎつけるには、もちろん彼(=映画を監督したスタンリー・キューブリック)の祝福がいる」というくだりがあるが、これは明らかに誤訳というべきであろう。

さてもうひとつ余談だが、私は昔ドイツ語をちょっとかじったことがあり、昔取った杵柄で aus は from とか out of の意味だということはまだ記憶の隅にあるが、このライブ演奏のCD解説書にある対訳を何気なく見ていたら、"Tochter aus Elysium" のくだりが "Daughter of Elysium" と訳されているのに気づいた。

持っている他の「第9」の輸入盤CDも見たら、やはりそうした訳が見つかった。その一方で、"Daughter from Elysium" としているものもあった。そういえば、日本語でも「楽園の娘」と訳されている場合がある。

「楽園から来た娘」は、楽園にいる・いたわけだから、「楽園の」としても間違いではないだろうが、かつて和文英訳の授業で、「"の"を of と訳していいか気をつけよう」と注意されたことを思い出し、aus を of とするのも何となく似ているなと考えたりした。ドイツ語に詳しいわけではないので、この辺のところ、詳しい方がいらしたら教えていただけたら幸いである。

今回はとりとめのない内容になったが、そういえば、Elysium が持つ「理想郷」といった意味を示す英単語は他にもいろいろある。ちょっと面白いので、辞書や自分の学習ノートをひっくり返して調べ、後日書いてみたい。


Ode to Freedom: Bernstein Conducts Beethoven's Ninth Symphony in Berlin
Leonard Bernstein
Deutsche Grammophon

バーンスタイン/ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125
レナード・バーンスタイン/ジューン・アンダーソン/サラ・ウォーカー/クラウス・ケーニヒ/ヤン・ヘンドリク・ロータリング, ハンフリー・バートン


参考エントリ:
他人の不幸は蜜の味 (Schadenfreude)
「チャンピオン」ではないchampion
「借りた時間を生きる」とは?
レーガン大統領の英語に学ぶ
「翻訳」一覧