読んだ本:The Professor and the Madman

「事実は小説より奇なり」を地で行くノンフィクションである。最大の英語辞典 The Oxford English Dictionary (OED)は、実に70年もの歳月をかけて完成されたが、その編纂を陰で支えた、ひとりの謎の人物に焦点をあてたものだ。

OEDは、多数のボランティアが書籍から読み集めた大量の用例をもとに編纂が進められた。19世紀後半に始まったこの一大プロジェクトの初期に、特にすぐれたひとりの協力者がいた。彼は編集部の求めに応じて、的確な用例を次々と送ってくる。しかし、彼は編集者たちの前に姿を現そうとはしない。いったい彼は何者なのだろうか?

・・・と書くと、ミステリじみた展開に聞えるが、実際には著者は、はじめの方でこの協力者の数奇な経歴・素性を明かしている。それでもこの本を最後まで飽かずに読み進めることができるのは、謎の協力者と、生涯を辞書作りに捧げた編集主任の人生がどのように交差し、大英帝国の黄昏の時期に燦然と輝く文化事業がどのように進められていったかを、著者がみごとに再構成しているからに他ならない。

英語にまつわるいろいろな情報も得られる本である。近世までイギリスにはちゃんとした辞書が存在せず、シェークスピアは幅広い語彙がつまったあの作品群を辞書なしに生み出したという事実。辞書の編纂を専門家集団に委ねて権威を持たせたフランスと違い、ボランティアを動員するという「民主的」な編纂手法。そして、膨大な書物を読み込んで用例を広く書き写すという、伝統的な辞書編集の労苦、などなど。

過去の時代を描いたノンフィクションだが、かなり克明な描写もあり、著者が綿密な調査を行ったことをうかがわせる。人間ドラマとして、また英語についての知識が得られる本として、満足して読み終えることができた。

追記:
著者 Simon Winchester は、OED を編纂した人びとを描いた本をもう一冊書いており、私も "The Professor and the Madman" を読んでしばらくしてから、その "The Meaning of Everything" を手に取ってみた。こちらはより正統的なノンフィクションという感じである。一般には、より物語風・読み物風の前者の方がとっつきやすいかもしれないが、OEDや英語一般に興味のある人には、やはりおすすめしたい作品である。


The Professor and the Madman: A Tale Of Murder, Insanity, and the Making of the Oxford English Dictionary
Simon Winchester


The Meaning of Everything: The Story of the Oxford English Dictionary
Simon Winchester
Oxford Univ Pr