勝負はこれからだ

先日取り上げたオスカー・ワイルドの「サロメ」は、作曲家リヒャルト・シュトラウスが、世紀末的な妖しさと色彩感あふれる音楽で染め上げたオペラにしている。ということで今回は opera という単語が出てくる表現 The opera isn't [ain't] over until [till] the fat lady sings. を取り上げてみよう。

タイトルロールのサロメは、ほとんど出ずっぱりで歌いながら、少女から妖女へと変貌していく。終盤には「七つのヴェールの踊り」という舞いのあと、さらに長大なモノローグを歌ってクライマックスを迎える。至難な役柄だということは容易に想像がつく。

女性の容姿についてあれこれ言うのはよろしくないが、オペラの華である diva (プリマドンナ)は、かつては身体的にもかなり存在感のある人が多かったらしい。「椿姫」の初演の失敗は、白血病で死ぬヒロインに似つかわしくない体格のソプラノが演じたことが原因だったという。こうした歌手には、イメージ的に「サロメ」もちょっと苦しい。

さて、そこでこの表現である。初めて知った時は、体格の良いヒロインが最後の見せ場に出てきてクライマックスを迎える、というオペラにまつわる固定観念から来たものだろうと考えた。

つまり、出るべきものが出てこないと事は終わらない、呼び物が出てこなくては始まらない、というような意味だろう、「水戸黄門」の印籠のシーンのようなものか、とあたりをつけたわけである。

ところが少し経って、実はそうした意味で使われるのではないことを知った。文脈から類推して勝手にわかったつもりになるのは危うい、という英語学習の落とし穴の実例のひとつともいえそうだと思った。

辞書をみると、「勝負は最後までやってみなければわからない」「事は最後の最後までわからない」と書かれている。つまり、プリマドンナがクライマックスを飾って終わりにするまでにはいろいろありますよ、と取らなくてはいけないようなのだ。

次は、それぞれ私の電子辞書と Wikipedia の説明である。the opera の代わりに it にしてもいいようだ。

- used to convey that there is still time for a situation to change
[ORIGIN by association with the final aria in tragic opera]

- "It ain't over 'til the fat lady sings" is a proverb, essentially meaning that one shouldn't assume the outcome of some activity (frequently a sports game) until it has actually finished.

This phrase in turn refers to the impression by many that at the end of every opera, an aria is sung by a heavy-set woman dressed like a Valkyrie.
(http://en.wikipedia.org/wiki/It_ain't_over_'til_the_fat_lady_sings)

オペラと結びつけられているが、ネットをみると、最初に使われたのはスポーツで、1978年に sports commentator の Dan Cook という人が使い始め、同じ年にNBAの Washington Bullets のコーチ Dick Motta がさらに広めた、という説明がある。だとすると、ずいぶんと新しい表現なのだ。

しかし異説もあり、それ以前からアメリカ南部で使われていた “Church ain't out 'till the fat lady sings." という言い回しが元になっているとするものもあった。それが正しいかどうかは別として、教会で体格のいい黒人の女性がゴスペルを歌う光景が目に浮かぶようである。

もじりやすい表現とあって、変形して使われた例も結構見かける。ちょっと検索しただけでも、こんな見出しがあった。

- The show's not over until the fat lady slims
- Opera House role not over when the fat lady thins
- It's not over till the slim lady sings ... and acts
- It's not over until the soprano dies
- It's not over till the fat lady gives birth
- Not Over Till the Little Ladies Sing
- Not Over Till You-Know-Who Sings
- The fat lady has sung.
- The fat lady sings again.

このうち1番目の記事のURLを次に掲げる。タイトルがこの表現をもじりだとわかっていれば、より楽しく読めるのではないだろうか。
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,11069-2260834,00.html

ついでに、今回の表現と意味が似たものとして It's not over until it's over. があるが、これについては日を改めて書いてみよう。

さて、オペラ「サロメ」のタイトルロールは至難な役柄だと書いたが、人間とは凄いもので、役のイメージを保ちながら、そうした試練を難なくこなす歌手も出てきている。

マリア・ユーイングという歌手が演じた公演もそのひとつだ。「七つのヴェールの踊り」の最後で、着衣を全部脱ぎ捨ててしまう演出ばかりが話題になったが、キワモノではなく、ワイルドの原作を読むと気づく「視線」「見ること」へのこだわりを意識したものだろうか、主役の「目の演技」が印象的である。


英国ロイヤル・オペラ R.シュトラウス:楽劇《サロメ》全曲英国ロイヤル・オペラ R.シュトラウス:楽劇《サロメ》全曲
ユーイング(マリア) デヴリン(マイケル) リーゲル(ケネス)

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