広島市長の平和宣言

今年も、ほどなく8月6日、そして9日がやってくる。

以前、紛争や対立を抱えていたり、対米関係が悪かったりする国々を訪れた際、現地の人から、「日本は原爆を落とされたのに、なぜ今はアメリカの側についているのか」と聞かれたことが何回かあった。

そのたびに、回らぬ頭と舌で、自分なりになんとか説明しようと苦しんだが、こうした人たちは、日本がそこまでの仕打ちを受けた敵となぜ和解ができるのか、理解しがたいようだった。

現地での紛争について話を聞き、その片鱗にでも触れると、悲しいかな人間は、無条件で平和を分かち合おうという精神的高みにはまだ達していない生き物なのだ、という無力感に包まれた。

そして、先のような質問を受けるたびに、広島・長崎に関係のある近親者はいない私ながら、いやむしろ、だからこそ、「ヒロシマ・ナガサキ」は、日本人として忘れてはならない民族としての記憶なのだという思いを強くした。

広島と長崎の市長は、毎年の式典で「平和宣言」を行っている。特に広島の秋葉忠利市長の宣言は、毎回、特徴ある言葉を選んで編まれており、その主張とともに、強く印象に残る。

秋葉氏はアメリカで長く研究・教職生活を送り、同時通訳もできる英語力の持ち主とのことで、毎年の「平和宣言」の英訳には、自ら朱を入れている(英語だと「朱」ならぬ blue-pencil)と聞く。

もとの文が日本語で書かれていることもあり、その英文には、英語的な論理・表現とは離れている点もあるだろうが、それでも世界中の多くの人に触れてほしい文章だと思う。

秋葉市長のこれまでの「平和宣言」(日本語・英語)は、以下のサイトにすべて掲載されている。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/


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