「エントリ」か「エントリー」か

entry にはいくつかの意味があるが、ブログの個々の日記を指すのにも使うことができ、日本語でも「エントリ」と呼ばれている。

言葉についての鋭い観察をブログに綴っていらっしゃる実務翻訳者のたんご屋さんが、最近この「エントリ」について書いておられる(カタカナを好まないというたんご屋さんは、この言葉を避けて「記事」を使っているという)。その記事に対するコメントで、ある方が「エントリー」と表記されているのを見ているうちに、ふと考えたことがあるので、少し書いてみたい。

私はたんご屋さんのような気骨はないので、カタカナの「エントリ」を使っているが、以前は大仰な感じを抱いていた「記事」も最近は使うようになったきた。それはともかく、私は語尾に長音「ー」をつけない「コンピュータ」という表記には慣れと不慣れが半々といった状態だが、entry については「エントリ」の方がしっくりくる。

…などと最初は思ったのだが、「エントリー」という字を眺めていたら、実は、こちらの表記を使う場合もあることに気づいた。「エントリーナンバー○番!」といったような時である。

つまり、同じ entry でも、「エントリ」は、日記や記録などの記入のことであり、「エントリー」とすると、何かに参加することを指す。長音のあるなしで意味が違ってくるのである。私だけかと思って、ある人に尋ねたら、「そういえばそうだ」と同意してくれた。もちろん、一般化するつもりはない。技術系の人は長音をつけない表記が普通ということなので、参加についても「エントリ」とするのだろう。それでも、こうした感覚は面白いと思った。

こうしたことを考えたのも、最近、長音記号について触れた本を読んだばかりだからだろう。「新聞と現代日本語」という新書で、著者は日本新聞協会の用語専門委員、もと新聞の校閲記者である。

この本に、『「コンピューター」か「コンピュータ」か』という項がある。それによると、「国語審議会」は、外来語の語尾の -er, -or, -ar などは長音をつけることを原則と定め、辞書、新聞、教科書はこれに従っている。一方、「学術用語集」では、技術関係の外来語は原則として長音を取ることに決めたため、電気製品の説明書などからは長音が消え、表記にばらつきがでてきたのだという。

この本の筆者は新聞社出身のせいか、

「コンピュータ」などはまだいいのですが、「センサ、センタ、モニタ」などは何か舌足らずで不安定な感じがします。まして、「オーナ、オブザーバ、レギュラ、アカデミ」などは完全に最後の一字が抜けているようで変です。

と、自分の立場をはっきりと表明している。また、音相システム研究所の木通隆行所長という人の、

日本語は音節が常に母音で終わる開音節の言語のため、語末に長音がくると座りがよくなり安定感が増す。そのため外国語を片仮名書きにするときでもこれまではなるべく長音を残す配慮がされてきた。ところが最近『コンピュータ』『センサ』など、長音を意識的にカットしようとする妙な傾向がでてきた。

という文章も引用している。

私自身も文系のためか、この著者と同じ様な受け取り方をしている(「エントリ」は例外的なものだ)。長音を取るのだったら、energy は「エネルギ」なのか、それとも「エナジ」なのか、なんて考えも浮かんでしまうが、といって、理屈をつけてどちらが正しい・誤りと決めつけるつもりはない。「エントリ」と「エントリー」の違いを楽しむこともできなくなってしまう。

こうしたものは、かなりの程度、慣れの問題でもあるとも思う。私も「コンピュータ」は以前ほど変だと感じなくなっている。IT などの用語がどんどんカタカナとして日常生活に入ってきている昨今、長音表記に対する文系人間の感覚もその方向に変わっていくのだろう。

ただ、技術用語としてなら、それなりの心構えを持って接するのだが、文芸ものなどで、訳者が「表記は原音により近く」という信念をお持ちなのか、慣用と外れた表記を連発されると、個人的にはやはり変に思うこともある。「ヘンリ」「メアリ」などはそれほどでもないが、ある本で、「ピータ」「ペッパ」「ヨークシャ」というような表記が次々と出てきた時には、ちょっと気持ちが悪くなった。

余談だが、私が会社に入った時、提出した文書に「データ」と書いたら、上司に「データー」と”訂正”されたことがある。英語でも最後の音は伸ばさないのだと説明したが、「俺のように英語をよく知らない普通の人には、こっちの方が一般的なんだよ!」と一蹴されてしまった。

さて、「新聞と現代日本語」は、この他にも、「ら抜き言葉」「漢字とひらがなの交ぜ書き」「旧字や異体字の人名への使用」、また、「午後12時は昼か夜か」、また、私も以前書いたことがある「10数人」という表記、など、さまざまな興味深い問題に触れている。

筆者が新聞社出身のためか、新聞の方針を擁護するような記述が時に気になるほか、さまざまな情報が次から次へと出て来るので、通して読んでいるとちょっと疲れてくるが、内容は充実しており、「間違いやすい漢字・慣用句」といった各種のリストも豊富なので、レファレンスとしても使えそうな本である。


新聞と現代日本語新聞と現代日本語
金武 伸弥

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