「飛ぶ教室」の新訳

ドイツの作家エーリヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」は、クリスマスの時期にギムナジウムの生徒たちが体験した出来事を描いた作品である。小学校の高学年の時に引き込まれるようにして読んだ。高校生の時には英訳も手に入れた。先日、書店に立ち寄ったら、そのなつかしい「飛ぶ教室」の新訳が光文社の古典文庫から出ているのを見つけた。

訳者はあとがきと解説の中で、翻訳にあたっての考えを述べている。日本では、児童文学といえば決まって「です・ます」調を使い、ひらがなやルビ、改行が多い形で訳される。しかしそうした文体はケストナーの軽快な原文の特徴には似合わない。そこで「過剰なビブラート」を排して翻訳してみた、すると「ピリオド楽器での演奏のように、スピード感がもどり、細部の声が聞きやすくなる」。また、「私たちは『子ども』や『わかりやすさ』を必要以上に配慮することによって、逆に、子どもを小さな枠のなかに囲い込み、子どもと大人の垣根を必要以上に高くしてしまったのではないか」とも書かれていた。

私はクラシック音楽のピリオド演奏(作品が作曲された当時の楽器と奏法による演奏)を楽しんで鑑賞していることもあり、興味を持って購入した。

そして、ああ、こういう物語だったなと楽しく思い出しながら一気に読んだ。その一方で、「だ・である」調を使った訳文は確かに歯切れが良く、ケストナーの原文が翻訳者の言う通りだとしたら確かに似つかわしいのだろうが、どうしても「乗る」ことができなかった。

その理由は、やはり子どもの時に熱中して読んだ、岩波書店の翻訳のイメージが強いせいなのだろうと思った。

岩波版を好む理由を説明しようとすれば、次のようになるだろうか。新訳の訳者が批判している「です・ます」調のおかげで、この作品のところどころに出てくる、やや人生訓めいた内容や言葉の説教くささが、むしろうまく中和されている。それで対象年齢層が高めの作品であるにもかかわらず、小学生だった私でも引き込まれて読むことができたのだと思う。これがはたして「子どもに対して必要以上にわかりやすさを配慮する」ことに関連があるかどうかはよくわからない。

また、全体を「だ・である」調で通すより、「です・ます」調の地の文に「だ・である」調の会話を混ぜた形の方が、この作品で描かれた、大人になろうと背伸びをしている年代の姿がうまく浮き上がってくるように感じる。私が読んだ当時すでに古めかしくなっていた表現が使われているのも、結果的にそうした効果を高めていたように思う。

しかし、こうしたことは決定的なものとは思われず、冷静になって考え直してみると、やはり子供の時に最初に読んだという、「刷り込み」の影響が大きいのだろう。

さらに考えてみると、ある作品に対して持つイメージは、人によって違うはずだ。だから、複数のしっかりした翻訳があることによって、読者は一番自分のイメージにあったものを選ぶことができるわけで、むしろ喜ぶべきなのだろう(翻訳権のため、新しい作品だとこうはいかないだろうが)。

クラシック音楽は演奏者によって解釈が異なり、その違いこそが面白い。ある作品の翻訳が複数あるということも、それに似ているといえるだろうか。私も古い考えを捨てて、選択肢の広がりを喜ばなくてはならないのだろう。

追記(2008年1月):
私が読んだ Puffin Books 版の英訳 "The Flying Classroom" は現在絶版のようだが、講談社が文庫本スタイルで出している英語作品のシリーズに少し前に収録された。なお岩波の単行本翻訳や Puffin のペーパーバックにはドイツ語原著のさし絵が転載されていて楽しめたが、光文社の新訳や講談社の英語文庫には収録されておらず残念だ。版権の問題があるのだろうか。


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