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zoom RSS 「英語の授業は英語で」(その2)

<<   作成日時 : 2009/01/07 15:46   >>

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「高校では英語の授業を英語で進める」という新しい学習指導要領案について、私は前回書いたように、とりあえずやってみる価値はあると思っている。逆にいうと、手放しで賛成しているとか、うまくいくだろうと過度の期待をしているわけではない。歯切れは悪いが、条件つきであるにせよ、ともかく試してみてはどうか、という考えである。

またこれも前回書いたように、指導要領案は実際のところ、非常に高度なレベルの英語を使って授業をすることは必ずしも求めておらず、日本語を排除するものでもない、と私なりに解釈していて、これを前提にして考えていることをお断りしておく。

今回の改訂はもちろん生徒の学力向上をめざすものだが、そもそも教師に力がなくては生徒の力もつかないだろう。その意味でまず、生徒の規範となるべく教師が自分の英語力を保持し、さらに向上させるよう、自覚と努力を促すきっかけになると思う。

それは英語で授業をすることと関係ないのでは、という声もあるだろう。「学校で習う英語は役に立たない」という声がある一方で、「聞く・話す」に力を入れる傾向について「授業は英会話の時間ではない」といった反対意見もよく聞く。今回の改訂で、そうした批判がさらに高まりそうだ。

しかし、言葉を教えること、しかも教壇に立って生徒に語りかけることを仕事としている以上、自分が専門とする英語を使ってある程度の自己表現もできない英語教師というのは、はっきり言って情けないと思う。それは英会話が得意かどうかとか、口下手か否かとは切り離して考えるべきではないか。英文和訳や英文法の説明ができればいい、と自分に枠を設けて事足れりとしているのだったら困る。「今の教師のレベルでは無理だ」という見方が出ていることや、現場の教師から「自信がない」という不安の声があがっているという記事も読んだが、悲しくなる。

教師は自分が教えている教科のプロとして、生徒に対する英語の role model でなくてはならず、それをめざすべきだ。専門である英語を不断に磨こうとするのは当たり前のことである。英語を専門としないサラリーマンも、仕事で必要とあらば時間をひねり出して必死に勉強しているのだ。競争社会での打算的な行動だと批判するのはたやすいが、それが一種のサバイバルにつながるのだから真剣である。

教師が示す規範が、英語による口頭表現である必要はあるのか、とか、実際のところ教師が英語を使うことで生徒の英語力がどれほど向上するのか、といった疑問もあると思う。しかし、教師が実際に英語を使っている姿を見て、英語に興味を持つようになったとか、興味がいっそう増したという生徒はこれまでもいたはずだ(実は、私もそうした一人である)。そうした可能性が、以前よりも高まるのではないかと期待している。多分に理想論かもしれないが。

ただ、言葉を実践的に使う機会を充実させることが改訂の主眼ならば、教師が一方的に話すだけでなく、生徒も巻き込まなくては本来の目的にはなかなかつながらないだろう。「コミュニケーション」とはそうした双方向のものであるはずだからだ。この点について今回の改訂にあたってどのような議論があったのか(あるいは、なかったのか)、見つけることができなかったのは残念である。

いずれにせよ、「授業を英会話のクラスにするのか」といった批判については、確かに易しい会話レベルの英語しかわからない生徒を次々と生み出す結果になってはまずいと私も思う。その点で、教科が「コミュニケーション英語」とか「英語表現」、「英語会話」といった名称ばかりになったことには不安を覚える。「コミュニケーション」に力を入れるにせよ、理解できる容量を大きくしなければ、自分から使えるレベルも高くはならないはずだ。

だから、言葉を実践的に使う時間の一方で、骨のある英語をしっかり理解する時間も絶対なくすべきではない。そして、そうした授業では、むしろ日本語は必要だと思う。教師や生徒が内容を言い換える形で英語で説明し表現すること自体は可能だろう。しかし、微妙なニュアンスや複雑な構文を含めて内容を正確に理解する・させるのは、母国語である日本語によるのが確実であり、効率もいいはずだ。

また、日本語と英語の違いに敏感になり、言葉に対する興味を拓いてくれる可能性も無視できないと思う。英語圏に渡ってずっと一生そこで暮らすなど、日本語との関わりを断つのでない限り、いくら英語を学んだところで日本語から離れられるわけはない。また英語のネイティブのようにはまずなれないだろうし、なる必要もない。ならば、むしろ異なる言葉(そして文化)の間の違いに目を向けて、それを楽しむようにした方が得策だと思う。

さて、私の周囲で今回の改訂が話題になったときには、「聞く・話す」に重点を置くことに異存がない人からも、教師が英語を話すことについて異論が出た。長くなってきたので、こうしたことなどについて次回続きを書いてみたい。


関連エントリ:
「英語の授業は英語で」
「英語の授業は英語で」(その3)
英語の先生の思い出(「英語の授業は英語で」その4)
英語よりも日本語?(「英語の授業は英語で」その5)

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